「竹原ピストル」いいじゃないか。

テレビを見ていた娘に聞いたこれ誰だ?知らないの「竹原ピストル」って言うの紅白にも出てたのに知らないの?こんな帽子みたいの被ってハチマキしたようなの初めて見るは。23歳の娘と66歳の親父の会話でした,聞いているとどこかで聴いた事のある曲何かのコマーシャルで流れて来た曲でした。3曲聴いたが何となく懐かしい感じがする10代20代の頃のフォークソングの流行し出した頃の曲の雰囲気を感じた北海道に住む人間にとっては旭川に住んだ事かあるようだからものすごく身近に感じられる。松山千春中島みゆきに続くメジャーなミュージシャンになって欲しいと思う。竹原バズーカになっ欲しい。

貴乃花親方の理事落選でも親方は被害者ではないのか?

日馬富士の暴力で始まった相撲界の不祥事は,貴乃花親方の理事落選で一見落着のように見えるがそうだろうか。暴力事件の一番の被害者は貴ノ岩なのだが貴乃花親方も同じくらい被害者かもしれない,なぜならこんな事件が起きなければ少数一門であっても貴乃花一門から出せるわけだし貴乃花親方が理事でも何も問題は無かったと思う、たまたま暴力事件が起きたばっかりに貴乃花一門から二人が立候補しなければならない状況になってしまったのではないか。今冷静に考えてみると目の上のたん瘤みたいな貴乃花親方が理事からいなくなりホットしているのではないのか,貴乃花親方が理事になろうとなかろうと我々庶民の生活には何の影響もないが相撲協会のニュースをテレビや新聞で見るたびに腹が立ってしょうがないと言うことだろう。相撲の世界を知らない我々だけれども相撲界はやはりおかしいのでは無いかと思う相撲界の一連の出来事でした。

人の繋がり。

昨夜町長の新年交礼会に友人と出席,立食懇親会のの後行きつけのスナックへ,懇親会で一緒になった知人と飲んでいると3組の男女が隣のボックス席に座ったな何となく隣の席を見ると知った顔の女性が軽く会釈をし友人と話をしたら,友人が誰よと私に聞いてきたので高校生の時のクラスメイトの女性のいとこだと説明。以前6年ほど前この店でいとこの女性と3人で飲んだことがあった,話はそこからです聞くと皆夫婦とのことでした。そうすると別の女性が我々の側に来て友人に声をかけてきた友人の名前を呼び親しそうに,友人は私と同じ糖尿病で目が悪いのと酔っていたので直ぐ気が付かなかったが何と友人の奥さんのいとことの事しばらくぶりに会ったらしい。それからまだ話がある友人の奥さんは私と友人と高校生時代のクラスメイトでもある。話をよく聞くとその女性の兄さんも中学生の時同じ野球部た仲間だった話を聞くと30代で寝た切りの病気になったとのことでした。たまたま隣の席に座った事がこんなに身近に感じられるとは世の中って面白いと思う。

精神的にも肉体的にも限界です。

12月31日で私が配達のパートをしているスーパーを退職した22歳の女性の言葉です。高校を卒業して3年になるのかな同じ年に学校は違うが同級生が2人で配属されたらしい、もう一人の女性は昨年3月に腰の具合が悪く退社。スーパーの中では沢山いる女性のなか同じ入社の2人が正社員とのことでした,問題は沢山いる女性の中でこの2人が一番若いということです但し高校生のアルバイトを抜いてはの話です。私も考えてみると20代中過ぎてやっと会社の中で戦力になって行ったような気がします,入社して二年や三年ではまだまだ未熟ですそこに色々なパートに女性がいるわけですから,ましてや勤務のローテーション表などは社員とはいえ一番若い彼女が作成いているのだから大変みたいでした。彼女が休みの時には彼女への悪口を何回も耳にしました,確かに人間ですから間違いやミスも犯しますが黙って聞いていると彼女一人が悪いみたいな話になります。それは違うのではないか悪口を言っている女性達も沢山の間違いやミスを犯しているのに良くそんな事言えるのだろうか。定期的な休みがあったとしても閉店は8時年店の休みは年2回精神的にも肉体的にも彼女は限界にきていたんだなと改めて今思う。

年賀状に思う、元日の出来事。

今朝10時頃年賀状が届く、私宛の年賀状と嫁さん宛両方で60通ほどである。毎年年末にこのとおもう人にはもう出さなくても良いかなとおもう人が数人いる、今回も考えたが頂いてるのに出さないのは失礼と思い出したお宅がある。数年前北海道から横浜に転居したお宅である、12時過ぎに初詣に出かけ家に戻った1時半頃元日からは珍しく電話がああ又嫁さんの実家からだなと思って聞いていると,普段電話など来ることのない聞いた事のある名前が嫁さんが対応し電話が終わった後に事情を聞くと先方の話では身体の調子が悪く年賀状を息子さんに頼んでおいたが息子さんも忙しくて出すのが遅れたとの事、先方が出す前に私の年賀状が届いたとの事の恐縮しての電話でした。本当に年賀状一枚出すにも難しいものだ感じた平成30年の元旦でした。

子どもの頃の年末、正月料理におもう。

わたしが子供の頃,昭和の30年代小中学校の頃の年末年始の食べ物の記憶。その頃は裕福な家庭は少なかった私の家庭も6人家族で極普通の貧しい家庭でした。大晦日のご馳走何てほとんど記憶がないが蕎麦は食べたと思う、それと口取りのお菓子と言うかエビやタイをかたどった生菓子を食べていた様な記憶がある。正月料理で記憶にあるのは,大きなジュラルミンの鍋で煮たごった煮のうま煮と海で釣ったチカの昆布巻き最高の食べ物は親類の農家から分けて貰う豚肉の今風に言うとスキヤキでした。具在は肉と凍み豆腐しか記憶に無いせいぜいネギくらいは保存していたのだろうか,只餅だけは各家庭で餅つきをしていたので豊富だったようなきおくがある。今日大晦日のわが家の料理は子供の頃には無かった、さしみ・茶碗蒸し・飯寿司・黒豆・数の子・ゆでたボタンエビ・生寿司・蕎麦・栗きんとん・なます・元旦には蒲鉾・伊達巻・イクラ・が追加でお膳に乗るはずです。子供の頃から比べると果物もお菓子もお金さえあれば何でも買える世の中のはずだが貧乏だった子供の頃が何か良かったような気がする。こう言う気持ちって何なんだろう

今年も後数時間、どんな年だったのか?

北海道の端知床半島の付け根の町斜里町爆弾低気圧の影響もなく一昨日までほとんど雪が無かった。昨日少し降ってようやく正月を迎えるような景色になりました。私は朝早くから正月用の生物刺身などの買い出しに2軒のスーパーへ計5回の買い出し、嫁さんは年越しの準備で大忙しでした。今ようやく大晦日の準備が出来上がったところです。これから神棚に御神酒を上げて拝礼をし家族3人で今年私の両親の墓参りを兼ねたディズニ―ランドと東京観光の話でもしながらとしを越す予定です。来年も平凡でも家族3人穏やかにくらせる年になるよう心から願います。